新聞の読み方教えます

新聞の読み方教えます。新聞を面白く読むためのニュースを紹介していきます。

つまらない奴でごめんなさい

昨日も飲み過ぎた。学生たちと飲んでいた。最近の学生はおとなしい。大人びている。社会慣れしているといってもいいのかもしれない。学生なのだから弾ければいいのにともどかしい。

 

大人の僕に遠慮しているのかと思った。とりあえず僕がはっちゃけてみた。まあ、良い歳して裸芸したわけではない。得意の自虐ネタで、いじられキャラを前面に出しただけだ。それでだいぶ打ち解けられたと思う。

 

鳥取大学の学生たちだった。街ではあまり飲まないらしい。鳥取大学の場所は、街から一駅のところにあるのだ。もったいないことだと思う。学生という立場を活かして、ずけずけと社会人と交わるきっかけが少ないのはかわいそうだと思う。

 

学生の「ごめんなさい」は社会人のそれよりも軽い。しかしだから「ごめんなさい」で関係が気まずくなることも少ない。愛嬌があるのだ。

 

とはいえ、心のなかで舌を出すような「ごめんなさい」は癖になるのでやめたほうがいい。心で泣きながら、真面目な顔をして謝罪できるのはセンスだと思っている。

バーテンダー初体験

徹夜の疲れがまだぬけていない。カフェで苦めに淹れてもらったコーヒーを飲みながら書いている。立ち込める香りに脳みそのヒダが開いていく心地がする。黒い液体を口に含めば毛穴が開いて、一瞬目が覚める。こういう気分なのだ。

 

昨夜はバーテンダーをしていた。3月、鳥取を離れて東京に移る。鳥取で過ごした4年間の集大成として、バーに立ってみようと思ったのだ。とにかく飲み歩いた4年間だったのだ。

 

年配の方から、大学生まで、幅広い年齢の人が来てくれた。月曜日だというのに、来てくれたことに感謝の念があふれてくる。ひとりひとり、お帰りの際には、ドアのところまで行って、お見送りをした。営業なんて野暮な意味ではなく、自然に出てきた行動だった。いつものバーの人もこういう気持ちなんだろうと思った。

 

大人こそ職業体験するべきだ。人に優しくなれる。特に身近な飲食店の職業体験は、自分の所作がいかに見られているかを知るきっかけになるので、ためになるはずだ。

 

世の中で最も付加価値の高い仕事は、相手の気持ちになる、ということだと思う。

質の良い睡眠のために

日曜日はひたすら眠り続けた。このところ駆り立てられるようにして文章を書き続けていた。そのツケが来たのかもしれない。

 

幸いなことにやらなくてはならないことがあるわけではなかった。心地よい眠りを続けた。頭が少しぼんやりしている。

 

眠りというのは死んでいる時間と同じだ、と思っていた時期もあった。この頃は違う。眠らなかった日は死んでいるも同然だ、と思っている。

 

眠らなかった日。あるいは睡眠時間が足らない日は、考えようと思っても考えられない。結局、単純作業に終始したり、次の日にやるべきことを持ち越したりする。

 

とはいえ、眠りすぎたせいなのか、今は頭がはっきりとしていない。大きなエンジンが動き始めた時のようだ。最初は静かなうなりを上げ、やがて猛スピードで走り始める。眠りが一日のエンジンをつくるのだ。

 

質の良い睡眠をとるのに必要なこと。それは早く寝ることだ。僕は夜10時に寝て、通例朝4時に起きる。すこぶる快調だ。どれだけ寝ても寝足りないという人は、一度試してみると言い。

女性をお茶に誘うということ

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先日、久々に帰省してきた女友達をお茶に誘った。東京で再会してから、とても仲良くしていた友達で、趣味が合うので今でもよく電話で話をする。

 

その日は「おいしいコーヒー」が相手の希望だったので、最近復活した旧丸福珈琲に連れて行った。おたがいに気心の知れた仲なので、無理にしゃべらなくてもよい。間が心地よかった。

 

女性を食事に誘うと、下心を邪推されてしまうのだが、お茶に誘うというのは、話をしたいというだけの意思表示になるので、双方が気軽だ。

 

それに素面で話したい人もいる。酔っぱらった会話も確かに楽しい。でも落ち着いた会話が楽しい人もいるのだ。

 

男同士だと酔っていようがいまいが、どの道、人生とか仕事とか真面目な話になる。だから男同士の場合は酒を飲みながらが一番楽しい。

 

東京での暮らしは忙しいらしいが、やはり向こうが楽しいらしい。「僕ももうすぐそっちに行くから、いつでも会えるね」と言うと、なぜか笑われた。

 

鳥取の雪が解けてよかった。と言っていた。風は相変わらず冷たい。風邪ひくなよ、ってお互いに声をかけて別れた。

目標を見定める必要はない

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鳥取の大学生がイベントをするらしい。

 

30人ほど集まっている。しかし話を聞いても何をしたいのかよくわからない。何かをしたいという気持ちは伝わってくる。

 

何かをしたい。その何かが見定まらないうちから全力疾走できるのは、学生ならではだ。こけてもめげずに頑張ってほしい。

 

僕も何かを書きたいという思いで文章を書き始めた。何を書きたいのかはいまだにわからない。書いているうちに書くことについては人並み以上になった。

 

目標を見定める前から動くことが、大器をつくるコツだと思う。確かに目標を定めたほうが、効率的だろう。しかし目標として言葉にできることは、大したことではない。

 

目標を定めずに動き続けるのは大変だ。さまよっているような感覚になる。だから目標が定まっていないのに動き続けられることがみつかったら、それが自分の運命なのだと思う。

 

言っていることがよくわからない若者を応援したい。コミュニケーションスキルという上っ面で人を判断したくない。言葉にできない衝動は力だ。それを世の中とうまく結び付けてあげるのが先達の役目だと思う。

バーの醍醐味

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先日、ちょっと変わったバーに行った。マスターが日替わりするバーなのだが、その日は坊主バー。知り合いの住職がマスターをするらしいので、顔を出した。

 

繁盛だったらしい。僕が行ったころは夜遅かった。他のお客さんはいない。のんびりと住職と会話することができた。

 

孤独は好きだ。しかし時に群れに戻りたくなる。そうした時にバーはちょうどいい。初対面の人と、その場限りの話をする。それだけで世間とのつながりを感じられる。

 

でもバーの一番の醍醐味はマスターとの会話だと思う。特にいろいろと知っているマスターとの会話は楽しい。お互いに共通の知識があればなおさら良い。文脈で語りあう心地よさは、古い友人との会話に似ている。

 

ある分野に知識をもっている人なら、その分野について「大きな声では言えない意見」をもっているものだ。マスターと二人っきりの時には、はばかられる話を堂々とできるので清々しい。

 

住職とは悟りについてとか、孤独についてとか、普段だと抹香臭く思われる話をした。いつかあんな話もしたっけと懐かしく思う日もくるのだろう。

 

帰り際、記念撮影をした。シャッターがまぶしかったけれど笑顔だった。

一流のアドバイス

与えられたアドバイスには従うべきではない。アドバイスを与える側が自分の承認欲求を満たしたいだけの場合があるからだ。その見極めをつけるのは困難だ。だから一括して参考意見に留めてしまったほうが迷わない。

 

アドバイスは求めるべきだ。一流の人を見つけたら求めることをためらうべきではない。求めればためらいながら厳しく教えてくれるはずだ。

 

アドバイスに従うべきかどうかは「ためらい」があるかどうかにかかっている。「ためらい」のないアドバイスは軽い。人生に影響を与えることの重さを知っている人ほどアドバイスに慎重になる。だから重い。

 

とはいえ職位の関係上、アドバイスを与えなければならない人もいる。僕もそうだ。

 

先日、お世話になっている人からアドバイスをいただいた。アドバイスそのものもためになったが、アドバイスの仕方がためになった。必ず自分の具体的体験に紐づいているのだ。自分にできないことはアドバイスしない、という一つの指針を得た。

 

人を育てあげることには責任がある。責任を楽しめるかどうか。それこそ資質というものだろう。